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東京家庭裁判所 昭和39年(家)12015号 審判 1965年4月28日

申立人 津川久子(仮名)

相手方 津川次男(仮名)

主文

一、相手方は申立人に対し婚姻費用の分担として昭和四〇年四月一日以降右両名の別居の解消に至るまで毎月末日限り金四万円を当裁判所に寄託して支払え。

二、相手方は申立人に対し昭和三六年一〇月一三日以降昭和四〇年三月三一日までの婚姻費用の分担として金六三万円を支払え。

三、本件手続費用は各自の負担とする。

理由

第一、申立の要旨

本件申立の要旨は、「申立人は昭和二三年四月一九日相手方と婚姻し、その間に同年一二月一〇日長男良男をもうけたが夫婦仲はとかく円満を欠き、昭和三三年六月申立人は次男幸男を懐妊中同人の郷里である宮崎市の実家で出産をなすべく相手方の居住する松江市から宮崎の実家に帰つたが、その時以来相手方とは別居しており、その間昭和三三年一〇月一一日次男幸男を出産した。その後、相手方は右二児の養育料を支払わないので、申立人は昭和三四年九月松江家庭裁判所に対し生活費請求調停の申立をなし、その結果相手方は申立人に対し長男良男及び次男幸男の養育料として毎月金二万円を支払う旨の調停が成立した。以来、申立人は相手方から右養育料の支払を受けているが、諸物価の高騰、子の成長、進学等の為月額金二万円の養育料では十分に子を養育することができないのでこれを増額し、更に右は子の養育料であるから、右の外、申立人自身の生活費として相当額を支払うべき旨の審判を求める」というにある。

第二、当裁判所の判断

一、本件記録によれば、右申立がなされた宮崎家庭裁判所は昭和三六年一一月二七日本件を調停に付す旨の審判をなし、その後、相手方の住所地の関係で本件は鳥取家庭裁判所米子支部に移送され、更に昭和三七年四月三日当裁判所に移送されたものであるが、当庁において数回調停期日を開き種々調停を試みたにもかかわらず、当事者間において合意に達せず、ついに昭和三九年一二月四日右調停は不調に終つたものである。

二、津川俊男、田村逸男及び申立人及び相手方の各審問の結果、申立人に対する宮崎家庭裁判所の審問調書、鳥取家庭裁判所米子支部調査官小林一夫作成の調査報告書(二通)及びその添付書類、宮崎家庭裁判所調査官秋田和人作成の調査報告書及びその添付書類、本件記録添付の戸籍謄本(一通)、松江家庭裁判所昭和三四年(家イ)第四二号生活費請求調停事件調停調書、申立人作成の生活費明細と題する書面、相手方の給与所得の源泉徴収票(昭和三七年、同三八年、同三九年分)、相手方の給与支払明細書、相手方の昭和三八年度給与額の月別手取額証明書、相手方の生活費明細と題する書面、津川次男に対する当社月別給与と題する書面、申立人作成の家計収支と題する書面(三通)、相手方作成の生活費月別表、その他を総合すると次の(一)ないし(六)の諸事実が認められる。

(一)  婚姻の成立及び別居に至つた事情

申立人と相手方は、その勤務先である日本○○○工業株式会社の職場において知り合い約二年間の交際期間を経て昭和二三年二月事実上の結婚をし、同年四月一九日婚姻の届出をなし、同年一二月一〇日長男良男を、昭和三三年一〇月一一日次男幸男をもうけたが、夫婦仲は、婚姻当初よりとかく円満を欠き、殊に昭和三三年一月申立人が次男幸男を懐妊したころより夫婦間の不和はその極に達し、相手方は度々外泊するようになつた。申立人は次男幸男の出産はその郷里である宮崎市の実家でしたいと考えていたが、相手方が会社の都合で宮崎へ転勤になるかもしれないことを聞き、ますます実家へ帰る決心を固め、相手方と話合の上、夫婦間の過去の生活を反省する上からも別居が適当と考え、同年六月ごろ当時、申立人及び相手方らが居住していた島根県松江市に相手方のみを残し、長男良男をつれて宮崎の実家に帰り別居することになつた。その際申立人は相手方と合意の上、相手方の所持していた株券一万三、一〇〇株(株式会社日立製作所株券外一二銘柄、当時の時価合計金二〇六万八、六〇〇円相当)及び当事者らが有していた家具什器の大半を宮崎に持ち帰つた。

(二)  生活費請求調停の申立について

申立人は相手方と別居後昭和三三年一〇月一一日次男幸男を出産したが、相手方は申立人の住居を訪れることすらなく、又宮崎へ転勤することもなかつた。その上、同年六月以降申立人に対し、生活費、二児の養育料等を送金しなかつたため、申立人は昭和三四年九月一日松江家庭裁判所に対し、生活費請求調停の申立をなしたところ、同月四日相手方との間に、「相手方は申立人と別居中申立人に対し長男良男、次男幸男の養育料として昭和三四年九月分から毎月末日限り金二万円づつを申立人に送金して支払う、申立人は本件に関しその余の請求を放棄する」旨の調停が成立した。その後今日に至るまで相手方は申立人に対し毎月金二万円の送金を続けている。

(三)  申立人の資産収入について

申立人は前記認定のとおり、相手方と別居するに際し、相手方所持にかかる株券一万三、一〇〇株を持ち帰つたが、その後相手方の承諾を得てこれを処分し、金一四二万三、五〇〇円の売得金を取得した。申立人は、その内から約一〇〇万円を費して宮崎市○○町一七七番地の一所在の宅地五九坪八勺を購入し、かつ、同地上に木造瓦葺モルタル塗平家建居宅建坪一八坪四合を建築所有している。しかし、申立人は専ら二児の養育にあたり、定職についていないため、その収入は前記調停による相手方の送金二万円のみである。

(四)  相手方の資産収入について

相手方は昭和一六年四月一日日本○○○工業株式会社に入社し、本件申立当時の昭和三六年一一月ごろは同社○○事業部○○出張所長として月額約五万円の俸給並びに年間手取約四〇万円の賞与を受け、その後昭和三七年三月同社東京本社○○事業部調査役に昇進して工場長待遇を受け、昭和三七年度の給与賞与所得は、所得税、社会保険料を差引き約一二三万八、〇〇〇円にのぼり、一月平均約一〇万円の収入となり、昭和三八年度もほぼ同額の一一〇万六、〇〇〇円で一月平均約九万二、〇〇〇円の収入を得、更に昭和三九年度は約一五八万一、九七九円で一月平均約一三万二、〇〇〇円の収入を得ている。一方相手方の資産については、同人は現在、日本○○○の社宅に居住し、みるべき資産を有せず、又、申立人が主張する○○製材株式会社及び和歌山県○○町における旅館○○館よりの副収入は皆無である。

(五)  申立人の生活費及び長男良男次男幸男の養育費について

右生活費及び養育費は、本件申立当時の昭和三六年一〇月ごろにおいては、一ヵ月平均食費約一万三、〇〇〇円、被服費約四、〇〇〇円、光熱費約二、〇〇〇円、教育費約二、五〇〇円、保健衛生費約三、〇〇〇円、住居費約二、〇〇〇円、教養娯費、交際費その他約五、五〇〇円以上合計約三万二、〇〇〇円を要するものであること、その後、諸物価の高騰及び子の成長により右生活費及び養育費は昭和三七年においては、一ヵ月平均約三万四、〇〇〇円、昭和三八年においては、一ヵ月平均約四万二、〇〇〇円、昭和三九年においては一ヵ月平均約四万八、〇〇〇円にものぼるに至つた。

(六)  相手方の生活費について

一方、相手方の生活費は、昭和三六年一〇月ないし昭和三七年三月ごろにおいては、鳥取県米子市に居住していたため、その同居し相手方と関係のある広田京子の生活費を含め、一ヵ月平均約三万円で足りていたが、昭和三七年四月東京転勤後は、諸物価の高騰もあつて少くとも一ヵ月平均約四万七、〇〇〇円の生活費を必要とするに至つた。しかしながら、相手方は現在、前記広田京子と同棲し、これと共同生活を営んでいるが、法律上、相手方はまずもつてその妻である申立人及びその子である長男良男、次男幸男に対し相手方の収入と見合いかつ相手方の生活程度と同程度の生活を保障すべきであるから、相手方が現に支出している右広田京子の生活費は、相手方の生活費として算入しないものとし、これを差引けば、相手方のみの生活費として、昭和三六年一〇月から昭和三七年三月までは、一ヵ月平均約二万円、同年四月以降は一ヵ月平均約三万円を計上することができる。なお相手方はその実母(和歌山県在住)に対し毎月一万円生活費として送金している。

三、右二において認定した事実によれば、相手方は婚姻費用として相当額を分担すべきものというべきにして、右認定の事実及びその他諸般の事情を考慮すれば、相手方が申立人に対して負担すべき婚姻費用の分担額は、本件申立時である昭和三六年一〇月から同三七年一二月末までは一ヵ月金三万円、同三八年一月から同年末までは一ヵ月金三万五、〇〇〇円、同三九年一月から右両名の別居の解消に至るまでは一ヵ月金四万円とするを相当とするのである。そうすると、相手方は昭和三四年九月以降申立人に対し毎月金二万円を送金しているから本件申立時である昭和三六年一〇月から昭和四〇年三月末までの期間における婚姻費用の分担金の不足額は合計金六三万円となり、これは相手方が直に申立人に対し支払うべきものであり、また、昭和四〇年四月以降の毎月の婚姻費用の分担金四万円は、当裁判所に寄託して支払うを相当と考えるので、相手方はこれを毎月末日かぎり当裁判所に寄託して支払うべきものといわねばならない。

よつて主文のとおり審判する。

(家事審判官 脇屋寿夫)

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